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月のみちかけ日の巡りの解説
思い出はいつまで綺麗なままで心の中にとっておけるのだろう。ふと、そんな事を考えていたら、中原 中也の「汚れつちまつた悲しみに」の詩を思い出してしまった。中也はわずか30才で死去してしまったのに、思い出が汚れてしまう悲しみを知っていたのだろうか。
思い出が汚れる事を経験するのは、たぶんこの世を長く生きすぎた人間だけだろう。時がそのまま止まって、物事が完結したままの状態でいて欲しいと願った、仏映画の「髪結いの亭主」の妻は、夫と10年の幸せな結婚生活を送ったのち、川に身を投げてしまった。
若い頃母とこの映画を見ていた時、ぽつりと母が、この人の考えることはわかるわ、と言った事を、なぜか今でも覚えている。なぜなら、私にはさっぱり、彼女が身投げをした意味がわからなかったからだ。
好き合って結婚し、幸せな時間を過ごしていただろうこの夫婦が、なぜそんな事になってしまったのか、20代後半の私には理解出来なかった。けれども、時が流れ、あのときの母とほとんど同じ年になってみると、愛の絶頂期が過ぎ、平凡な暮らしの中に埋没し、互いが気にも留めなくなり、そして思い出が次第に薄汚れてくるような日々が繰り返される事を知ると、そのまま相手に失望したり、孤独な思いを抱えたり、物事がうまく行かなくなっていくような予感を感じるよりも、時が凍結してしまえば良いのに、と思う気持ちは痛いほどよくわかるようになって来た。
父の晩年はすっかり認知症になり、寝たきりの状態の介護は2年半続いた。若い頃は美男子でならした父の変わりようを予感していたかのような、あのときの母の言葉を思い出し、今更ながら驚いた。
今日は父の月命日で、母と姉と三人で雨の中、お墓参りに出かけた。
墓の前で手を合わせて祈る母の心の中はわからないが、全てをやり尽くし、そして又時が流れ、彼岸の彼方に旅立った父との思い出が、もう一度綺麗によみがえって来ているのかもしれないと、その姿を見ながら思った。
以前画いた、月の満ち欠け日の巡りという絵は、ハッピーエンドのその先に待っている、平凡な日々の繰り返しを、幸せに過ごして欲しいという願いを込めて画いた絵だった。
もしも魔法が使えるなら、幸せな思い出が、さらに上書きされていくような時間を、愛する人と過ごすような人生を送りたいと願っている自分がいる。